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東京地方裁判所 平成8年(ワ)5691号 判決

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は原告に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する平成八年四月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

被告はいわゆる従業員持株会であり、被告の規約には、会員が退会したときは、当該会員に登録配分された株式を現金で払い戻す旨及び右払戻し株式の価格は一株につき一二〇円とする旨の定めがあるところ、被告を退会した原告が、右規定が公序良俗に反し無効であると主張して、被告に対し、原告に登録配分された株式の価額相当額の支払を請求した事案。

一  争いのない事実

1 原告は、昭和二七年三月一日訴外株式会社竹尾(以下「訴外会社」という。)に入社し、平成元年二月一四日に定年退職した後、五年間再雇用され、その後更に二年間雇用期間を延長され、平成八年二月一四日退職した。

訴外会社は、紙及びこれに関連する商品の売買、物流設備の販売等を目的とする会社であり、昭和一二年、合資会社から株式会社に組織変更した(当時の商号は竹尾洋紙店)。株式会社設立当時の資本金は五〇万円であったが、累次の増資を経て、現在の資本金の額は三億円、発行済株式の総数は六〇〇万株(一株の額面金額五〇円)である。訴外会社の株式は非公開であり、株式の譲渡には取締役会の承認が必要である。

2 被告は、訴外会社の従業員で勤続年数が五年以上の者を会員の資格とし、訴外会社の株式を取得することを容易にし、これにより会員の財産形成に資することを目的として、昭和六二年一一月一二日に結成された団体であり、被告の規約である「従業員持株会規程」(以下、単に「規程」という。)は、別紙のとおりである。

なお、規程二条によれば、被告は民法上の任意組合とする旨定められているが、被告は多数の会員を有し、その加入脱退等の変動があっても団体として存続することを予定され、会員の個性が希薄化した組織であるから、いわゆる権利能力のない社団である。

3 原告は被告の結成と同時に被告の会員となったが、平成七年一〇月三一日、規程五条三項に基づき、被告に対し、平成八年一月三一日限り退会する旨の意思表示をし、これにより被告を退会した。

規程一四条一項は、「会員が退会したときは、当該会員に登録配分された株式(少数第四位以下を切捨て)を、現金にて払戻しを受けるものとする。」と定め、同条二項(以下「本件規定」という。)は、「前項払戻し株式の価格は、一株につき一二〇円とする。」と定めている。原告が退会時に保有していた株式(原告に登録配分された株式)は一万一〇〇〇株であったため、被告は平成八年一月三一日、原告に対し、本件規定に基づき、一三二万円を支払った。

二  原告の主張

1 本件規定は、以下に述べるとおり、公序良俗に反し無効である。

(一) 被告が発足した昭和六二年一一月一二日当時、原告は既に訴外会社の株式九六〇〇株を保有していた。被告は「会員の財産形成に資する」ことを目的として発足したが、会員の財産形成は、被告の発足以前と比較して、むしろ不利である。すなわち、株式配当を受ける利益は、被告結成後も従前と同じで何らの変化もなく、被告結成前は、退職時に適正価格で株式の買取りを求めることができたのに、被告結成後は、一株一二〇円でしか買取り請求が許されなくなり、株式の名義は理事長の名義となって(規程六条)、会員の議決権行使は認められなくなった(同一二条)。

また、被告は、従業員の自由かつ任意の意思に基づいて結成されたものでなく、訴外会社の都合のみに基づいて結成されたものである。すなわち、本件規定は、事前に従業員との何らの打合せもなく、会社側が簡単な趣旨説明を行い、規程案文を読み上げて形式的に賛否を問い、可決されたものであって、会員の意思には大きな瑕疵がある。

以上のとおり、本件規定は、対等な立場にある当事者が個別的に交渉して合意されたものでなく、訴外会社が、使用者と従業員という強者と弱者の関係を利用し、「会員の財産形成」という虚偽の事実を謳い文句に、訴外会社の利益のみを図るために定めたいわゆる附合契約であるから、公序良俗に反し無効である。

(二) 規程一四条一項は、退会時に株式を譲渡することを強制し、会員の株式譲渡の自由を制限しているが、このような制限が有効であるためには、少なくとも、その制限が「会員の財産形成」を害しないことが必要であり、「会員の財産形成」を害しないためには、会員に投下した資本を適正に回収させること、すなわち譲渡の対価が適正であることが必要である。本件規定が定める一二〇円の対価は、実際の株式価額から著しくかけ離れた低額なものであり、このような価額を固定的に定めることは、「会員の財産形成」を害することが明らかである。

被告は、訴外会社が毎年相当の利益配当を行っている旨をいうが、株式投資の利益を利益配当だけに限定することは、会社の事業経営による利益がすべて利益配当として株主に配当されている場合を除き、本来株主のものであるべき利益が会社に留保されるという意味において、株式投資の本質に反する。そして、訴外会社は、事業経営による利益のすべてを利益配当するどころか、極めて配当性向の低い会社なのである。

以上のとおり、本件規定は、会員の重要な利益を奪う不合理なものであるから、公序良俗に反し無効である。

2 訴外会社の平成七年一一月三〇日現在の純資産額(貸借対照表上の総資産額から総負債額を差し引いた額)は七九億五五三一万二〇〇〇円であり、これを発行済株式総数(六〇〇万株)で除すると、株式一株の価額は一応一三二五円となる。しかし、右の純資産額は帳簿上のもので、実際の純資産額はその一〇倍を下らないから、訴外会社の株式一株の価額は一万三二五〇円を下らない。したがって、原告が退職時に保有していた株式は一万一〇〇〇株であるから、その価額は一億四五七五万円となり、原告は被告に対し、右価額相当分の支払を請求する権利を有する。

3 よって、原告は被告に対し、右価額から既に支払を受けた一三二万円を控除した一億四四四三万円のうち、五〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成八年四月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  原告の主張に対する被告の認否及び反論

1 原告の主張1(一)について

訴外会社は昭和二七年に資本金を五〇〇万円に増資したころから従業員持株制度を導入したが、従業員数が増加し、従業員株主も相当数に上ったことから、右制度の整備・拡充を図るため、会社が主導して従業員持株会を結成することとなり、昭和六二年一一月被告が結成された。

原告は、従前から訴外会社の従業員持株制度を利用し、被告結成当時、既に九六〇〇株の株式を保有していたが、被告結成に際しては、本件規定を承認の上、入会の申込みをし、結成と同時に一四〇〇株を取得した。原告は、被告結成当時五四歳で勤続三五年九か月であり、入会希望者の中で最もベテランの従業員であって、原告の入会時に、原告の自由意思を束縛する契機となるような事情は一切存在しない。

2 同(二)について

訴外会社のような非公開会社にあっては、株式の自由な取引及び価格形成がされる市場は存在しないのであって、退会時において持株会(被告)が必ず買い取ることを約束するのは、会員の投下資本の回収に役立つ。しかも、訴外会社は、毎年額面の一割五分を上回る高率の配当を継続し、会員は被告を通じてこれを受領している上、会員は一株当たり五〇円から一〇〇円までの額で株式を取得し、退職時に一株当たり一二〇円で払戻しを受けるのであるから、これは投下資本の回収として相当な水準である。本件規定は、何ら公序良俗に違反しない。

3 同2について

訴外会社の平成七年一一月三〇日現在の貸借対照表上の総資産額から総負債額を差し引いた額が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は否認する。

第三  判断

一  前記争いのない事実と《証拠略》によれば、以下の事実を認めることができる。

1 訴外会社は、明治三二年創業の個人商店が大正二年合資会社に改組され、昭和一二年株式会社に組織変更されたものである(当時の商号は株式会社竹尾洋紙店。資本金五〇万円)。その後、資本金は増資を重ね、昭和二三年に三〇〇万円、同二七年に五〇〇万円、同三一年に一〇〇〇万円、同三三年に一五〇〇万円、同三五年に二〇〇〇万円、同三六年に四〇〇〇万円、同三七年に六〇〇〇万円、同三九年に八〇〇〇万円、同四三年に一億二〇〇〇万円、同四五年に一億六〇〇〇万円、同四八年に二億円、同五〇年四月に二億五〇〇〇万円、同年八月に三億円となり、現在に至っている。発行済株式の総数は六〇〇万株(一株の額面金額五〇円)であり、株式は非公開であって(したがって、市場価格はない)、その譲渡には取締役会の承認が必要である。

訴外会社の目的は、前記争いのない事実一1記載のとおりであり、平成八年四月末現在の従業員数は、三七九名である。

2 訴外会社は、昭和二七年の増資の際、いわゆる従業員持株制度を発足させた。発足当初は長期勤続の従業員のみを割当ての対象としていたが、昭和四二年以降は、勤続五年以上の準社員にも対象を拡大した。

訴外会社には従業員の親睦団体として竹友会があったが、訴外会社は右団体の財政基盤を安定させる目的等のため、昭和三〇年以降、竹友会にも自社株の割当てを行った。そして、竹友会は、財政基盤が安定してきたことから、従業員との間で株式(持株)の売買を行うようになり、従業員が退職する場合、当該従業員が額面(一株五〇円)で引き受けた訴外会社の株式を七〇円で買い取り、これを買取り価格で従業員に売却するなどした。被告が設立された昭和六二年当時、竹友会の従業員に対する売却価格は一株当たり一〇〇円、買戻し価格は一二〇円であった。

なお、訴外会社は昭和三〇年代以降、毎年ほぼ一貫して、額面の一割五分を上回る利益配当を継続した。

3 訴外会社は昭和六二年、従業員が増え、従業員による持株の保有率も増大したことなどから、従業員持株制度を整備するため、訴外会社が主導して持株会の設立を図り、従業員四名による発起人会の準備作業の後、同年一一月一二日、被告の設立総会が開催された。

右設立総会の出席者は原告を含む一二名、委任状を含む出席者は一四七名であった。右設立総会においては、発起人代表(広田七海)が持株会(被告)設立の趣旨及び持株会の概要を説明して全員の賛同を得た後、発起人代表を議長に選出して持株会規程等の審議が行われ、異議なく原案どおり可決された。

被告設立当時、訴外会社の従業員数は三〇五名であり、このうち被告の会員となる資格を有する者(勤続年数五年以上の者。規程四条)は一七五名、入会者は一五四名であった。

4 原告は被告設立当時、既に訴外会社の株式九六〇〇株を保有していたが、被告設立と同時に入会の申込みをし、また、訴外会社の株式一四〇〇株の購入の申込みをして、これを取得した(規程九条による株式の登録配分を受けた)。右株式の取得価額は、一株一二〇円のものが九九九株、一株五〇円のものが四〇一株であり、払込金額は一三万九九三〇円(一株当たり九九・九五円)であった。

二  原告の主張について

1 原告の主張1(一)について

まず、原告は、被告は「会員の財産形成に資する」ことを目的として発足したが、会員の財産形成は被告の発足以前と比較して不利であり、被告結成前は、退職時に適正価格で株式の買取りを請求することができたのに、被告結成後は、一株一二〇円でしか買取り請求が許されなくなった旨主張する。

しかしながら、被告結成前に従業員が持株を適正価格で買い取ることを請求することができたとの主張事実は、これを認めるに足りる証拠がないのみならず(買取りの相手方が誰であるかの主張もない)、前記認定のとおり、被告結成前は、退職する従業員の持株は竹友会が従業員の取得金額の四割増し(七〇円)ないし二割増し(一二〇円)で買い取っていたのであるから、本件規定が定める払戻し価格が、被告結成前より不利なものとはいえない。

なるほど、原告が主張するように、被告の規程によれば、株式の名義は理事長の名義となり、会員の議決権行使は認められないこととなったから、この点において、会員の地位が被告結成前と比較して不利になったといえないこともない。しかしながら、《証拠略》によれば、被告結成前は、従業員株主は株主総会前に社員株主説明会を開催し、共同して株主権を行使していたところ、規程は、これを被告の会員総会と理事会という形に整理したというのであり、右陳述書の記載と、被告の目的が会員の財産形成に資することにあって、議決権行使の目的がそれほど重視されていないこと、会員の意思を株主総会に反映させる必要がある場合には、被告の会員総会(規程一七条)において、相応の決議をすることも可能であることなどを併せ考えれば、議決権行使につき、会員の地位が被告結成前と比較して特段に不利になったとはいえない。

次に、原告は、被告は従業員の自由かつ任意の意思に基づいて結成されたものでなく、規程は訴外会社が一方的に定めたものである旨主張する。

被告設立の経緯は前記認定のとおりであり、訴外会社は従前から従業員持株制度を採用していたが、従業員の増大等に伴い、右制度を整備する必要から、被告の設立を図ったものである。しかしながら、前記認定事実及び右に説示したところに照らせば、被告の設立は従前の制度を大きく変更するものではなく、前記認定のとおり、被告の設立総会において被告の規程等が異議なく可決されたのは、右の事情によるものと推認される。原告は、設立総会に出席したものの、詳細な説明もなく、やむなく入会した旨供述するが、前記認定のとおり、原告は被告設立当時、既に訴外会社の株式九六〇〇株を保有し、被告設立と同時に更に一四〇〇株を購入するなどしているのであって、訴外会社の従業員持株制度について相当程度の理解を有していたと思われること及び前記認定の設立総会の経過等に照らし、原告の右供述はにわかに採用することができず、ほかに原告の前記主張事実を認めるに足りる証拠はない。

2 原告の主張1(二)について

原告は、本件規定が定める一二〇円の対価は実際の株式価額から著しくかけ離れた低額なものであって、このような価額を固定的に定めることは、会員の財産形成を害することが明らかである旨主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、訴外会社は昭和三〇年以降、毎年ほぼ一貫して額面の一割五分を上回る利益配当を継続していること、本件規定が定める払戻し価格は従業員が取得した株式価額の二割増しであること(前記認定事実によれば、原告が保有する株式のうちには一〇〇円より低額で取得したものもあることが推認されるから、原告に対する払戻し率は二割増し以上となる)、訴外会社の株式は非公開であって市場価格がなく、その譲渡に取締役会の承認を必要とすることなどに照らせば、会員は訴外会社の株式を保有することによって相応の利益を得ることができ、退会時には投下資本の回収を図ることができるというべきであって、本件規定が会員の財産形成を害するものとはいえない。なお、原告は、訴外会社が極めて配当性向の低い会社であると主張するが、右の配当率は必ずしも低率であるとはいえず、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。もっとも、本件規定は払戻し価格を固定しているから、この点に問題がないとはいえないが、前記認定事実によれば、右価格は従業員が取得した株式の価額との相関関係において決定されていることがうかがわれるのであって、右価格が従業員が取得した株式の価額と比較して極めて低額であるような事情がある場合は格別として、本件において右のような事情は認められないから、本件規定が右価格を固定していることをもって不合理ということはできない。

3 以上のとおりであるから、本件規定が公序良俗に反する旨の原告の主張は、採用することができない。

三  よって、原告の請求は理由がないので棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 大内俊身)

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